【世界史】16世紀のネーデルラント

北部は神聖ローマ帝国領

南部はフランス領⇒中継貿易と毛織物工業で栄えていた。  

15世紀後半:ハプスブルク家のマクシミリアン1世が婚姻と相続で支配する。

1556年:神聖ローマ帝国皇帝カール5世の引退後、スペイン王フェリペ2世がネーデルラントを相続する。 

1568年:ネーデルラント独立戦争が始まる。  

指導者:オラニエ公ウィレム(オレンジ公ウィリアム。ネーデルラント連邦共和国初代総督)  

原因:中継貿易と毛織物業で繁栄するネーデルラントに対する、フェリペ2世の財政的圧迫とカトリック強制への反発。

ハプスブルク家と敵対するフランスのブルボン家やイギリスはオランダを支援した。

1571年:カトリックの多い南部10州(ベルギー)がオランダ独立戦争を離脱してスペイン支配下にとどまる。親スペインのアラス同盟を結成する。

南部10州

現在のベルギー。カトリック教徒が多い。毛織物工業で発展した。

1579年:新教徒=カルヴァン派=ゴイセンの多い北部7州がユトレヒト同盟を結成して抗戦を継続する。

北部7州

中継貿易で繁栄し、新教徒が多かった。

1581年:ネーデルラント連邦共和国が独立を宣言する。

(正式な独立は1648年のウェストファリア条約で承認される)

新教徒の毛織物業者や商人がオランダ北部に移住した。

ホラント州

アムステルダムを州都とするオランダの政治・経済の中心地。

1596年:オランダの商船、初めてジャワ島のバンテンに来る。   

バンテン

ジャワ島の西端にある港市。イスラム教国・バンテン王国が栄えていた。

(1602年:オランダ東インド会社が成立する。)

(1609年:休戦条約で事実上の独立を達成する。)

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