
1525年:ポーランド王国を宗主国としてプロイセン公国が成立する。
1569年:ポーランド王国がリトアニア大公国を正式に併合する=「ルブリンの合同」。
⇒正式名称「ポーランド王国およびリトアニア大公国」(通称「ポーランド・リトアニア共和国」)となる。
リトアニア大公国
現在のベルラーシとウクライナ北部を支配する国。
スラヴ人の文化を取り入れ、スラヴ化が進んでいた。
1572年:ポーランドのヤゲウォ朝が断絶し、貴族(シュラフタ)による選挙王制となる。
国王にはポーランド人以外の外国の王家の有力者が選出された
⇒シュラフタがコントロールしやすい国王を選出した。
選挙王制の意義
シュラフタどうしの対立や外国の介入を招き、ポーランドの弱体化がはじまった。